朝日新聞 2002年9月5日掲載 (転載=筆者承認済み
2002/09/20)
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Osamu 2002
私の視点
東京大学教授
・土木設計家 篠原
修
昨今の公共事業をめぐる議論を見聞すると、「貧すれば鈍する」ということわざを思い出す。バブルがはじけ、長い不況に突入して以来、公共事業にかかわる役所や民間では、コスト縮減が合言葉のようになっている。その背景には、すでに膨大な借金や負債を抱える国や公団、自治体の財政状況が厳しく問われていることがあろう。 しかし、ここで私が問おうとしているのはコスト縮減の手法の問題ではない(それは別に論じてもよい)。問題にしたいのは道路や橋、河川などの寿命の長い社会資本を、短い寿命の消費財と同じようにコストのみの視点から論じて、そのデザインの質を問わない体質についてである。 道路や橋、河川などの社会資本は、安全、快適に、また豊かに暮らしたいという人類の欲求を背景に、文明が生み出した我女の日常生活を物質的に支えてくれる装置である。道路や橋などの社会資本が、同じ自動車文明を支えている車と違うのは、車が個人の「もの」であり、また寿命が短い(せいぜい5年から10年)のに対し、遠路や橋は我々が共有する生活環境を形成し、それが何世代にもわたる長い寿命(少なくとも50年から100年)を持ち、将来の生活文化の基盤となるという点である。 効率性、利便性を追求する物質文明の論理からすれば、道路や橋は人間が通行 できればいい。しかし、人間はその一方で精神性、つまり文化性を不可欠とする。道路や橋は単に通行できれぱいいのではなく、それは美しく、ときに歴史を 感じさせ、郷土の誇りとなることを市民に要求されているのだ。それを自覚するのが文化をも兼ね備えた文明国の衿持というものであろう。 私の大先輩にあたる土木設計家、太田圓三や田中豊は、こういう市民の要求にこたえ、後世の評価に備えて、第一次大戦後の大不況下における震災復興事業に戦略」をもって臨んだ。115の復興局の橋梁予算の38%を、東京の顔となる隅田川にかかるわずか六つの橋に充て、さらにその約半分を永代橋と清洲橋につぎ込んだのである。厳しいコスト制約下にあっても文化を忘れなかったのだ(大正末から昭和初期)。そのデザインのメリハリのかいもあって、70年以上たった今日でも、浅草と東京湾を往復してこれらの歴史的な橋をくぐる遊覧船や屋形船は人気を博している。架けられた橋が、かりに昨今言われるようなコストのみの視点から造られた凡庸な橋であったら、隅田川の風景がいかに貧相になっていたかは想像に難くない。 ここで誤解してならないのは、コストが安くても良い橋はできるということである。土木の分野では名橋と評価されている長崎県の西海橋の完成は55年だった。戦後、わが国が一番貧乏だった時代に計画・設計された橋である。西海橋がローコストでもうまくいったのは、貧乏であるがゆえに知恵を絞り、吉田巌氏をはじめとする有能な若手エンジニアを登用し、デザインを任せたからである(これは隅田川橋梁でも同じだった)。 将来の資産となる公共事業にメリハリをつけること、コスト縮減下においても良いデザインを生み出すために設計料(お金)ではなく、エンジニアのデザインカ(知恵)で競うシステムに切り替えること。それが国際競争力強化にもなり、現在求められていることなのだ。美しさや文化性を切り捨て、将来に禍根を残すおそれのある社会資本整備は、「貧すれば鈍する」と後世に批判されよう。 |
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