スパム投稿と一緒に私の個人的感想意見投稿記事も道連れ削除されてしまったようなので・・・くどくも再意見。
「検討委員会」の答申の一つ「模型保存」とか「記録保存」とかいう考え方に対して:
ものを創る、技術を創るということに携わらない事務屋さんたちの、本質を見損なったあきれた観点のひとつがいつもまた平然と顔を出している「習慣」と、タメ息をつかざるを得ません。
誰が模型を作るの? 模型を作れる人は実物も作れるの?
(参考:黒田棟梁
http://loveriver.net/Heritage/sumigassyou/report-mokuzokousya.html#daikuryoku)
次代の大工職人が差し金を操って部材に正確に墨を付け、加工する正規の技術を持ってするなら、まだその技術は「次の代に継承された」と言えるだろう。
が、正確なつくり型も知らず、模型なら「それらしくおっついていればいいだろう」といったカタチばかりのものだけ残して・・・
ではそれを実物でどう墨付け加工するのだろう手順の理解も知識も欠落した見た目の模型や写真だけ残って何になるのだろう?
この技術はもうデッドエンドで、後世に全く不要な過去の技術と短絡させていいのだろうか?
木の建築の風土環境の国で、木造建築の技術は常に過去を知り、過去を踏襲模倣して、そしてその永い継承技術をさらに発展させて成り立つ。
化石燃料資源や電気エネルギーに頼らず実現できてきた技術だ。
川の恵み、水車というエネルギー変換システム・木造技術を基に栄えた町の歴史や成り立ちをないがしろにした街は、常に「人間ごと使い捨て」という索漠とした街づくりで奔っていくのだろう・・・