◆ 昭和6年(1931年)の座間村商店会
◆ 明治15年(1879年)の座間村(陸軍省測量地図)

ブルー グラス
"The Space Band"
座・スペース

LIVE  1995
 いつのころか「座・間」をもじって「ザ・スペース」バンドと名付けられた。
バンドリーダー(年功序列・笑)がキャンプ座間内で電気設計技師を勤めているコネ筋で、独立記念日、公開開放日、野外コン サート等に恒例で招かれていて・・・
名なしバンドであったので、その場限り、「間」を「空間」の訳語SPACEでダジャレて言ったらしい・・・
が、SPACEは(宇宙)という壮大な語でもあって、宇宙航空局NASA関係者メンバーか?と過大な誤解でよく聞かれるらし い。

メンバーの顔つきがそれほど知的であるらしい(笑)

しかしTheとZaを一緒くたにするプアな発音(^^;)は、絶対的に日本人にしかわからないシャレで
いまだ、謎の・・・知的バンドの誤解が解けない・・・らしい(笑)



魚八



魚八 (撮影年代不詳)
(看板文字が左順になっているので、戦後(1945年)以降には違いないが、右隣はまだワラ葺 き家であることから、昭和20〜30年代初めと推測される。
ワラ葺きは朝鮮戦争景気以後昭和30年代に急速にトタン屋根に葺き替えられた。)



 
 


昭 和6年(1931年)の座間村商店会↓


※この地図上で描かれている方角や距離・位置関係に正確性は全くなく・電鉄ラインなどはもうただの「アッチ」的表記
「 新座間」駅とあるのは現在の「座間」駅。  「座間」駅とあるのは現在の「相武台前」駅



明治15 年(1879年)の座間村(陸軍省測量地図)↓
さてこの座間村裏話として、小田急線が「相武台前」駅から「座間」駅の間でなぜ大きくカーブしてるかというと・・
小田急線敷設話の折、ムラの中に電鉄が通るのは嫌だと村民が反対して乗り入れさせなかった、という。
で、この旧村は役場(当時)から(そして現在の新市役所も)電車利用上最も不便な場所のまま、街の統合性を欠いて
発展をし損なった。とさ。




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