(1)魚八 再生project

座間 旧街道 町並み文化 復活再生プロジェクト 1995-2005renew



 
1995
 
 この町並みは、決して昔撮影された「失われた過去」のものではない。今、現在の姿だ。
( 撮影 : おお木まさみ 1995)
 この街に暮らす人たち自身には、見慣れたごく日常の、鮮度のない(?) 景色かもしれないが、その一つ一つを切り取ることで、あらためて、その「美しさ」に気づいてもらえるだろうか・・

(2005追記/10年経過した現状も全くといっていいほど変わっていない)

 (撮影を思い立った時、僕は直感的に「モノクロ」フィルムを買いに走った。周囲の「新建築」群から乱反射して来ているかもしれない、ほんのわずかの馬鹿げた「色あい」といえども光の中に加えたくないと渇望したのだ。)

 まだ手後れでない町並みの屋台骨が見えてこないか?!


 街は、当然のことながら、「道」があってこそ、つまり商いの交通を要に発展した。
  農耕者が「大地の恵み」に感謝の心を捧げるのと同じように、人々の「道」への恩恵、感謝の念はまた信仰になるほど大きなものだった。(一方では「邪悪なもの」の流入を恐れ、集落の辻々に道祖神を奉ったように)「畏れ」の念に満ちていた。

  しかし、車(モータリゼーション)という「もの」のテクノロジー、「通過」するだけの薄情な交通手段を危機感なく傍観したがために、大きな「心」の財産を失った。騒音と排気ガスと危険を振りまくだけの負の財産と化した通過メディアの「道」を、自分たちの手に取り戻す「本気のアクション」を起さない限り、私たちは、人とひとが行き交わす、日々ありふれていたはずの「心の交差点」を永久に失うしかない。


  現実、道祖神を失った主要な「交差点」は、大方、クローンのコンビニ店舗化に「魂」を売り渡した。魚群を集めるがごとく真夜中も煌々と白色光を発する集光器装置がなんら違和感なく映る無機的な「街の景観」をどんどん拡げている。誰もが何の疑問も抱かない程に、次代の感性の占領化が進んでいる。

 二足歩行動物の根元の感覚、寄り道を誘うような、まさに生物的に「地に足の付いた」視点の「まちと道の風景」、商い文化、町並みヒューマニズムを再生して行こう。
 ひとつひとつ、新た道祖神ともいえる風景をつくっていかないか。


  



投げ記
 
 趣味のブルーグラス・バンドに参加していた。座間のメンバーが中心的なユニット(だ。  (座・スペース)
LIVE 

 なにぶん「音の近所迷惑」を避けられない趣味である。    
 座間旧大通りに店を構える、「まーちゃん」(フラットマンドリン担当)のお店(「魚八」)を閉店後練習場とさせてもらう機会が増えた。 
 

 お互い頭の軽そうな音楽の(事実軽い?)仲間だから、現地雑談的にちょっとした軽い口調の依頼をされた。 

 「うちの店のファサードは古めかしいし、老朽化も目立つ。ちょっとカッコイイ  ”モダン”な改装デザイン考えてくれないかな」 と言う。 

 そう言われて、初めて業務上の目でまじまじ店の内外を遠慮なく見回させてもらったが、・・・現状これが、とてもすぐれものではないか! 

魚八1995

 デザインは誰が?と聞けば、「家業継ぐ気はなく本当はデザイナーになりたかった」という店主ご本人の由。 

 それほどのセンシティブな素養を持ちながら、つまりは心の内面から現状の「すべて」にあきてしまっている精神上の問題のすり替えを感じた。(あながち私の勝手な独断思い込みとは思えない・・)。 
  
 確かに物理的な老朽具合もよくよく見れば目立つのだが、現状を変える、「何でもいい=新しい」ものを希求して、 それが「モダン」で、未来志向なことなのだという意味に短絡させてしまうのか? ・・・ 



  
(近頃新築の座間市庁舎を見て笑えた。)
 
 デコレーションケーキによだれをたらしてあこがれた一世代も二世代も前の貧しき時代願望と、口いっぱい頬脹れるようになった豊かな時代の豊かさの質を知らない貧しき品性のままの、「時代錯誤」の感性が見え隠れする。 
 心貧しい金使いをただ、苦笑い、嘲笑混じり嘆いている寛容的な態度でいると・・・、まさか?! と思う、とんでもないシロモノがつくられてしまう。 

 これ以上座間市民全体の品性を問われる象徴がつくられないよう・・・
 



  
 共に感ずる人へ共振を誘う情報発信の手段を与えられた時代を感じる。
まちは、住み手がつくっていくものであって、ディベロッパーによってつくられた街に「住まわされる」ものではない。
 
リンク
 
昭和6年(1931年)の座間村商店会
明治15年(1879年)の座間村(陸軍省測量地図)


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