(ムービー教材提供:あいかわ(愛川)自然ネットワーク)    

愛川町郷土博物館展示基礎資料調査報告書 第8集

愛 川 町 の 動 物 (抄録)

1999

愛川町教育委員会


目 次

Plate 1−10

目次
凡例
調査地域略図
 
愛川町の鳥類・哺乳類
 鳥類日録
 哺乳類目録

愛川町の魚類
 魚類日録
 両生・爬虫類日録
 十脚甲殻類目録

愛川町の昆虫
 目録
  トンボ目
  ゴキブリ目
  カマキリ目
  バッタ目
  ナナフシ目
  ハサミムシ目
  ガロアムシ目
  カメムシ日
  甲虫目
  ハチ目
  ハエ日
  チョウ目

凡 例

  1. 本書は,1993年から1995年にかけて.愛川町の委託を受けた愛川町郷士博物館展示墓礎調査会「町土或の動物:j部会及ぴ「中津川の魚類」部会が実施した調査の報告書である.
  2. 調査で得られた資料は,現在計画中の(仮称)愛川町郷上博物館に収蔵され.展示活動や普及活動.調査研究活動などに活用される予定である.


 

 ニホンジカが草を食み,オオタカがその勇姿を現す雄大な仏果山地.急降下でアユを仕留めるカワセミ.アオハダトンボが群れ飛ぶ中津川.愛川町は豊かな自然に恵まれ,私たちは,このような環境と密接な繋がりをもって生活しています.

 しかし,近年の都市化の波は,緑地や耕地の減少,放置された森林の荒廃化,ゴミの不法投棄など,私たちの生活空間のみならず,生き物たちの棲む環境にも少なからず影響を与えていると思われます.そのような状況に置かれている生き物たちですが,本町にはいったいどれくらいの種類が棲んでいるのでしょうか.このような基礎的なことをはじめとして,自然史・歴史・民俗などの様々な疑間に答えるべく,愛川町では郷土博物館の建設計画を進めています.ここでは,町内の歴史や自然史の調査・研究を行い,それを町民の方々に広く紹介していく予定です.

 その博物館建設のための基礎資料の収集を目的として,1993年から1995年の2年間にわたり,愛川町郷土博物館展示基礎調査会を組織しました.自然史系の部会には,植物・動物・魚類の3部会を設け,調査を行いました.

 今回,皆様にお届けする『愛川町の動物』は,動物及び魚類部会の成果をまとめたものです.町内の動物相がこれだけ詳細に記録されたのはおそらく初めてのことでしよう.本書が,愛川の自然について関心を高め,町内に棲む生き物たちの置かれている状況を考える資料として幅広く活用されることを望みます.

 最後に,調査にあたられた方々,ご協力いただいた関係諸機関に対し,厚くお礼申し上げ,発刊の挨拶といたします.

1999年3月

愛川町教育委員会
教育長 平川嘉則


愛川町の昆虫 (抄録)


アオハダトンボのすめる町をめざして

苅部治紀 1.新津修平2.松本慶一2.苅部幸世3.高桑正敏1.藤田 裕 4

1:神奈川県立生命の星・地球博物館  2:東京農業大学  3:日本梢翅学会  4:愛川町教育委員会


はじめに

 愛川町は博物館建設を計画する中で,1993年から1995年にかけて,愛川町郷士博物館展示基礎調会を設け,人文・自然の両分野に渡る調査を行った.動物部会の中には,町域内の昆虫相を明らかにするために昆虫部門が設けられ,苅部治紀をリーダーとする6名が調査に当たった.調査は現地調査を主とし,延べ170日にわたる合同調査を行った.調査の対象はトンボ類,直翅類,甲虫類,チョウ類,ガ類を主とし,その他の分野もできるだけ対象としたが,地中性昆虫や微小昆虫,カゲロウ類・カワゲラ類のような水生昆虫については対象から外した.
 今回の調査によって確認された昆虫は,1793種(一部は文献記録による)で,その内訳は以下のとおりである.

 トンボ目   57種
 ゴキプリ目   5種
 カマキリ目   5種
 バツタ目   57種
 ナナフシ目   3種
 ハサミムシ目  3種
 ガロアムシ目  1種
 カメムシ目 129種
 甲虫目  1011種
 ハチ目    28種
 八工目    17種
 チョウ目  477種(チョウ類75種,ガ類402種)

 これらのうち,トンボ類とチョウ類は愛川町における相はかなり明らかにされたと考えられる.また,広義の直翅類,甲虫類の一部は比較的よく調査された.その一方で,ハチ目,ハ工目などの分類群はほとんど解明されておらず,将来に課題を残している.
 なお,調査にあたっては,神奈川県立愛川ふれあいの村,八菅神社をはじめ愛川町関係者各位,ならぴに東京都の佐藤陽路樹氏,埼玉県の豊田浩二氏,神奈川県の高桑翔氏,井澤秀一氏にご協力をいただいた.また,一部の標本については,国立科学博物館の友国雅章氏,平塚市博物館の浜口哲一氏,日本鞘翅学会の平野幸彦氏,柴田泰利氏,故秋山黄洋氏,双翅日談話会の大石久志氏,神奈川昆虫談話会の高橋和弘氏,中村進一氏,吉武啓氏,鎌倉市の長瀬博彦氏,平塚市の加藤学氏,東京農業大学昆虫学研究室の岸本年郎氏に同定をお願いした.東京トンボ研究会の加藤賢滋氏にはデータのご協カをいただいた.ギフチョウの記録については,杉並区の須田真一氏に御寄贈いただいた標本によるものである.厚木市郷土資料館の椀真史氏には文献面でお世話になった.これらの方々に厚くお礼を申し上げる.

昆虫相の概観

1.神奈川県の中での位置

 神奈川県は暖温帯(シイ・カシ帯とクリ帯)から冷温帯(ブナ帯)にかけての気候帯(植生帯)に属することか,それぞれの気候帯(植生帯)に依存する昆虫が生活している.ただし、県内での昆虫の分布は一様ではなく,その柚はかなり地域的な偏りがある.たとえぱ,暖温帯の要素(アゲハチョウやミンミンゼミなどが好例)は県内のほぼ全域で見られるが,冷温帯の要素(ミヤマカラスアゲハやルリボシカミキリなど)は通常は丹沢山地や箱根山地,津久井など山地にしか見られない.また,それぞれの種の生態や分布拡大の歴史性などにも違いがあり,1つの種が同
じ気候帯に広く分布するとは限らない.たとえぱ,暖温帯の要素であるギフチョウは津久井から丹沢山地の主に山麓部に分布圏をもつが.相模川を越えて東側には到達できなかったし,小田原・箱根方面にもすめなかった.同じく,クロツバメシジミは津久井の道志川沿いにかろうじて愛川町まで到達したが,県内では他の地域にまで分布を広げることはできなかつた.

 このような地域的な昆虫相の偏りがある中で,愛川町はどのような位置にあるのだろうか.まず,柏模原台地の一角を占める点で暖温帯的な要素を擁すると考えられるものの,海岸からはやや遠く離れているために多少とも内陸的な気候の制限を受けている.この点では,シイ・カシ帯の要素の一部は見られない一方で.クリ帯の要素は豊富であろう.また,気候帯だけから見れぱ,愛川町には冷温帯の地域はほとんどないと考えねばならないが,丹沢山地の東端に当たる仏果山地には冷温帯の要素が少数だが進出している.つまり愛川町の昆虫相は.県内に生活する暖温帯の要素のうちで内陸部まで分布している種類が基本となっているが,丹沢山地に生活する冷温帯の要素もいくらかは加わっている,と見るのが妥当である.

 水環境にすむ昆虫の相を考える場合には,また別の観点を必要とする.愛川町には相模川と中津川という2つの大きな河川が流れており,大河川の前者では中〜下流的な環境,後者では上〜中流的な環境を擁している.また,仏果山地から流れ出す源〜上流的な環境にも恵まれている.このため.アオハダトンボやオナガサナエなどの清流性のトンボ類多種の存在は,県内では十分に注目されてよい.一方,池や沼などの止水,湿地環境は人為的に創造されたものを別にすれぱ,柏模川のワンド以外にほとんど見当たらない.つまり愛川町の水環境は,流水環境は多様かつ豊富であるものの,止水環境はきわめて貧弱であり,それが水生の昆虫相に反映していると見なされる.ただし,自然環境が比較的残され,水のきれいな土地柄もあって,人為的な水・湿地環境である田や人造池などにはかなり多くの種類が見られる.
 

2.愛川町の昆虫相

(1) 植生帯からの観点

 内陸的な愛川町の昆虫相の基盤となっているのは,クリ帯に生活する種類である.スダジイカシ類,タブノキなど常緑広葉樹林(照葉樹林)をその標徴林とするシイカシ帯と,プナミズナラなどの落葉広葉樹林(夏緑樹林)を標徴林とするブナ帯の狭問にあって,クリ帯はクヌギコナラシデ類などの落葉広葉樹林とモミアカマツなどの針葉樹林から主に構成されている.この植生域を代表するのは,県内では内陸の平地や丘陵地,それに丹沢山地などの山麓部の雑木林に多く生息する種類である.中でも,平地性ゼフイルスと呼ぱれるミドリシジミ類6種が代表的なもので,愛川町からは今回5種が発見された.また同様に代表的なクリ帯要素と考えられる種は,チョウ類ではコツバメミスジチョウオオムラサキミヤマセセリヒメキマダラセセリなど,甲虫類ではキイロトラカミキリキボシチピカミキリヒゲナガカミキリなど多種に及ぶ.

 愛川町から記録されたシイ・カシ帯要素の代表的な種としては,チョウ類ではモンキアゲハ,アオスジアゲハ,ウラギンシジミ,ムラサキシジミなど,また甲虫類ではヒラタクワガタ,サシゲチピタマムシ,キイロゲンセイ,ツマグロキゲンセイ,ベーツヒラタカミキリなど,その他ではモリチャバネゴキプリ(チヤバネゴキプリ科),ヒナカマキリ(カマキリ科),ニホントピナナフシ(ナナフシ科),クマゼミ(セミ科)などが挙げられる.これらの多くは東洋の亜熱帯から熱帯に広く分布し,日本とくに関東地方をその分布の北限とするもので,県内では沿海部に勢力の中心がある.ただし,オオゴキプリ(オオゴキブリ科)やアミメキシタバ(ヤガ科)のように平地や丘陵部では記録がなく,山地山麓部の常緑広葉樹林に主に依存する種類も見られる.ブナ帯要素の種類はそれほど多くない.前掲のミヤマカラスアゲハルリボシカミキリに加え,スジボソヤマキチョウ(シロチョウ科),オオトラフコガネ(コガネムシ科),ヌバタマハナカミキリ,ホソヒゲケブカカミキリ,クモノスモンサビカミキリ(以上カミキリムシ科)など,主に仏果山地から記録されたいくつかを挙げることができるにすぎない.この点は,愛川町が植生帯的にはブナ帯を擁していないことから当然であるが,丹沢山地の東端として仏果山地が位置していることで,かろうじてブナ帯要素のいくつかが進出(あるいは残存)していると解釈される.

 もちろん.シイ・カシ帯からプナ帯まで広い生活圏をもつものも少なくない.チョウ類だけ見ても,キアゲハ,オナガアゲハ,スジグロシロチョウ,ツマキチョウ.ゴイシシジミ,テングチョウ,アカタテハ,ルリタテハ,スミナガシ,ジャノメチョウなど多種が挙げられる.また,前述したクリ帯要素の昆虫も,しぱしぱシイ・カシ帯に,また多くはブナ帯にまで進出している.これらは琉球列島を除く日本のほぼ全体に分布するものがほとんどであり,愛川町で見られる大部分の昆虫がシイ・カシ帯からプナ帯まで広い生活圏をもつものと考えてよいだろう.

(2) 全国レベルでの注日種

 今回得られた標本には,全国的にも注目されるものがいくつかあった.
 Neolethaeus minoensis (Hidaka)はナガカメムシ科の1種で,原記載以来ほとんど記録がないものらしく,「目本産昆虫総目録」(1989)にも掲載されていない.今回の調査で高取山より得られたが,これが関東地方からの初めての記録と思われる.

 オグラヒラタゴミムシ(オサムシ科)は東日本では非常に少なく,県内では過去に山北町における1例の記録があったのみで,神奈川県レッドデータ生物調査報告書では絶滅種に位置づけられていた.愛川町では八菅山の休耕田でわずか1頭が得られたにすぎない.

 チョウ類ではクロツバメシジミ(シジミチョウ科)の再発見が特筆に値する.神奈川県では吉く半原の記録があったものの,その後の県産チョウ類の目録上にも現れることがなかった.半原の崖面に生育するツメレンゲに依存し,細々と生息している状況にあるので,その保全策が望まれるところである.なお県内では,1990年頃以降に津久井町・藤野町の道志川渓谷でも発見されている.ガ類ではツマナミツマキリョトウ(ヤガ科)の発見が注目される.暖地性の種類で,従来は伊豆半島付近が北限とされていたものであり,関東地方からは初めての記録と思われる.また,ネジロフトクチバ(ヤガ科)も関東地方では稀な種で,神奈川県では丹沢蛭ケ岳に次ぐ2例目の記録である.

(3) 県内での注目種

 さらに,神奈川県内のレベルで注目される種には.次のようなものがあった.

@県内では愛川町とその周辺に限って記録されているもの

 アオハダトンボ(カワトンボ科)は,県内では相模川水系に限って記録されている.清流を生息環境としているために,水質汚濁や河川工事によって分布域を縮小しており.県内の絶滅危慎種に選定されている.愛川町では中津川と相模川に見られ,とくに中津川の一部では県内唯一の安定した個体群を保っている.コノシメトンボ(トンボ科)は県内では少ない種だが,愛川町ではきわめて優占することはおもしろい.

 アカイロニセハムシハナカミキリ(カミキリムシ科)は,県内では東丹沢と北丹沢の一部でしか記録がない.今回の調査では経ケ岳においてミズキの枝に静止中の1個体が発見された.同様な分布型を示していると推定されるカミキリにはコボトケヒゲナガコバネカミキリがあるが,今回の調査では愛川町からは発見できなかった.

A愛川町周辺が分布の限界となっているもの

 クロツバメシジミについては前述したが,本種は西南日本から関東西部にかけて分布し,愛川町は関東地方の最も南の端に位置する.同様に前述したツマナミツマキリョトウは,愛川町が現在までのところ分布の東北限となっている.
 
 分布の東北限(太平洋岸における分布の東限または北限)となっている種は他にもいくつか見出せる.ヒナカマキリ(カマキリ科)は,東京都が太平洋側の東北限となっているが,県内では小田原市や湘南地方,横浜市の浴海部から記録されていたもので,内陸部に位置する愛川町で発見されたことは興味深い.また,ツマグロキゲンセイ(ツチハンミョウ科)は県内の沿海部で稀に得られており,内陸部でも松田町での記録があるものの,今回の愛川町での記録は太平洋岸の内陸部での北限を示しているものと考えられる.ベーツヒラタカミキリ(カミキリムシ科)も同様で,茨城県が北限となっているが,関東地方ではほぼ沿海部のみから知られ,愛川町での記録はやはり内陸部での北限の1つを示している.おそらく,シブイロカヤキリモドキ(キリギリス科)やョコヅナツチカメムシ(ツチカメムシ科),サシゲチピタマムシ(タマムシ科)もこれらと似た分布態を示しており,愛川町が太平洋岸の内陸部での北限の1つであろうと考えられる.

 ブナ帯要素のいくつかも,愛川町が県内での分布の東限となっている.もっとも,仏果山地が丹沢山地の東端に位置する一方で,それより東にはブナ帯を擁する山地が存在しないことから当然と言える.

B県内では記録の少ない種類

 エダナナフシ(ナナフシ科)は今回の調査で,経ケ岳から1頭の幼生が採集された,従来の記録は東丹沢札掛と山北町箒沢にあったにすぎない.

 甲虫類では調査期間中に神奈川県から初めて発見されたものとして,アカニセセミゾ,ネカクシミヤマプチヒゲハネカクシ(以上ハネカクシ科),ツヤバネベニボタル(ベニボタル科),ムネアカホソホタルモドキ(ホタルモドキ科),クラヤミジョウカイ(ジョウカイボン科),ルリツツカッコウムシ(カッコウムシ科),アカヒメハナノミ(ハナノミ科),イッシキホソゾウムシアシナガオニゾウムシ(以上ゾウムシ科)の9種があった.このうち,クラヤミジョウカイはその後に西丹沢から記録されたが,残り8種は現在までのところ愛川町の記録だけである.また,ヌバタマハナカミキリ(カミキリムシ科)は県内では箱根と丹沢から合計3例しか知られていなかったものであり,仏果山から採集されたことは標高的にも興味深い.トゲフタオタマムシ(タマムシ科)は県内では大山周辺と津久井の一部でしか知られていなかったものである.ヒゲブトハナムグリ(コガネムシ科)は今回多数が確認されたが,県内ではこれまで津久井地方から記録があるにすぎなかった.コガネムシ科のアカマダラコガネムラサキツヤハナムグリも県内では記録の少ない種で,丹沢山地からは他に知られていない.

 ガ類ではシロシタバ(ヤガ科)の記録がやや注目される.大形かつよく知られている種だが,従来は県内からわずかな採集例が知られているにすぎない.

C県内でのレッドデータ種

 今回の現地調査により生息が確認されたもののうち,県内での絶滅種.あるいは絶滅が危惧されるもの,いわゆる県内でのレッドデータ種に選定されているものには次のようなものがあった.これらの多数の発見は,それだけ愛川町が県内の他地域に比ベれぱ,良好な自然環境を残存させていると言うことができるだろう.
 絶滅種オグラヒラタゴミムシ(オサムシ科)[今回再発見]

 絶滅危惧種モートンイトトンボ(イトトンボ科),アオハダトンボ(カワトンボ科),チョウトンボ(トンボ科),ハネナガイナゴ(イナゴ科),カワラバッタ(バッタ科),コオイムシ(コオイムシ科), エサキアメンボ ババアメンボ(以上アメンボ科〉,キベリマルクピゴミムシフタボシチピゴミムシオオクロツヤゴモクムシ(以上オサムシ科),シマゲンゴロウクロゲンゴロウ(以上ゲンゴロウ科),ツマキレオナカミズスマシコオナガミズスマシミズスマシ(以上ミズスマシ科),ガムシ(ガムシ科),ヤマトモンシデムシ(シデムシ科).ムラサキツヤハナムグリ(コガネムシ科)

 なお,減少種に選定されたものは多数がある.
 

3.自然環境と昆虫

 昆虫は第一義的に植生帯に分布を制限される傾向が強いが,さらに同一の植生帯にあっても,ある特定の自然環境にだけ生息するものがほとんどである.たとえば,お馴染みのクロ.ゴキブリやチヤバネゴキ、プリは市街地や住宅地に生活している一方で,森林の中ではまったくと言ってよいほど見かけることがない.また,森林環境にすむものの多くは,草地や湿地環境には生活していない.

 ここでは,愛川町における自然(植生)環境ごとに,そこで確認された代表的な昆虫を挙げるとともに.昆虫の多様性からみたそれぞれの自然環境を診断したい.

(1)森林環境からの視点

@常緑広葉樹林(照葉樹林)

 森林として認められるほどの広がりをもった常緑広葉樹林は,愛川町では八管神社の社叢林に残存しているにすぎない.ここはスダジイを主体とした常緑広葉樹の古木がうっそうとした林を形成し.とくに山頂部にはスギを主体とした針葉樹を交える.今回の調査によって.ヒナカマキリ(カマキリ科),サシゲチビタマムシ(タマムシ科),ベーツヒラタカミキリ(カミキリムシ科).ネジロフトクチバ(ヤガ科)などのように常緑広葉樹林を主な生息地(ハビタツト)とするシイ・カシ帯の要素が発見された.前述したように,これらは愛川町を太平洋岸の分布の北限の1つにしており,分布相からはきわめて注目すべき場所である.

A低地の落葉広葉樹林(夏緑樹林)

 愛川町の低地の大部分を占める相模原台地上は,そのほとんどが住宅地や工業団地,耕作地となっており,昆虫の生息に適した環境はほとんど残されていない.ただ,三増や志田山など土地開発が十分に及んでいない地域などでは,コナラやクヌギ,ケヤキ,シデ類などを主体とする落葉広葉樹林が部分的に存在している.ここでは,前述したようにクリ帯の要素が豊富で,平地性ゼフィルスやオオムラサキがその代表的なチョウである.しかし,開発から免れた落葉広葉樹林も,今では薪炭林や肥料としてまったく利用されていないために,高木化するとともに亜高木・中・低木相が発達するなど,植生の遷移が進行してしまっている.このため,林内は暗くなるとともに荒れ果て,明るい林内や若い林を好んでハビタットとする昆虫は衰退が著しいようで,平地性ゼフイルスを代表するウラナミアカシジミは今回ついに確認に至らなかった.

 この地域は,志田山や幣山などではクリ園に置き変わっている場所が見られる.ここではクリの花を訪れる昆虫たちでにぎわうとともに.その枯れ枝に依存する甲虫も多い.クワ畑となっている場所も少なくないが,こちらは害虫として有名なキボシカミキリを多数見るにすぎない.ただし,クワの古木に.はトラフカミキリ(以上カミキリムシ科)が生活している.

B山地の藩葉広葉樹林(夏緑樹林)

 仏果山地の北に位置する高取山では.山頂部付近でオオトラフコガネ,フタモンアラゲカミキリ,ホソヒゲケブカカミキリ,クモノスモンサピカミキリ(以上甲虫類)など,ブナ帯要素の種類が少なからず得られた.さらに高取山から仏果山,経ケ岳にかけての稜線部にはモミが多く生育し,トゲフタオタマムシ,オオトラカミキリ,キボシチビカミキリ,ヒゲナガカミキリ(以上甲虫類)などモミを寄主植物とする昆虫をはじめ,ヌバタマハナカミキリのような典型的なブナ帯要素も得られた.地表・地中生活者としてのガロアムシ(ガロアムシ科)やムサシナガゴミムシ,タンザワナガゴミムシ(以上オサムシ科)の存在も重要である.ミヤマサナエやヒメクロサナエなどのサナエトンボ類も吹き上がってくる.仏呆山地はまだまだ未知の部分が多く,調査すれぱするほど,多様な昆虫たちが発見されることだろう

. C針葉樹林

かつて広面積にわたって見られたアカマツ植林も,薪炭林同様に利用されなくなり,植生の遷移が進行しつつある.このため,アカマツに依存してきた昆虫の衰退が懸念されるところであるが,その実態は今回の調査ではあまり把握できなかった.八管山では公園として林が多少とも整備されている場所があり,そこのアカマツ林ではハルゼミ(セミ科)の発生が確認された.

 ヒノキやスギの単一林は昆虫の多様性にきわめて乏しい.とくに仏果山地の中腹から尾根部にかけてのヒノキ林は,ほとんど整備もされていないようで,昆虫の姿を見ることはほとんどない.

(2)非森林環境からの視点

@草地・川原環境

 愛川町でのやや広い草地環境は牧場の中以外には.中津川と相模川の川原に見る程度である.礫が多くて草本のあまり生育しない川原にはカワラバツタがわずかに生息するが,そのような環境が少なくなったために,現在はほとんどその姿を見ることができない.低〜高茎革本が生育する場所は.キリギリスやッユムシ,クルマバッタモドキなどキリギリス・バッタ類の種類が多く,チョウ類もキタテハやジヤノメチョウなど草地性の優占種のほか.ギンイチモンジセセリやミヤマチヤバネセセリのようにやや注目される種が生活する.甲虫類では,各種の革地性の種類が見られるほか,ヤマトモンシデムシ(シデムシ科)のような県内での絶滅危惧種も発見されている.しかし,川原は各地で運動場などの施設が整備されたことに加え.最近のアウトドア志向には著しいものがあり,このため自然な状態の川原環境は激減しているのが現状である.

 田の土手も狭いながらも草地環境となっている.このような所ではスズムシをはじめとしたコオロギ類が豊富であるが,定期的な革刈がなされてチガヤが一面に生育するような土手はあまり見ることがない.

A湿地環境

 自然に創り出された湿地は,愛川町ではわずかに天狗松の名前のない小池の周囲に見るにすぎない.今回の調査で唯一記録されたヒメアカネはこの湿地からのものであるが,残念ながらこの小池は近く埋め立てられるという.

 しかし,ごくわずかに散見される休耕田が湿地環境を形成し,そこでは湿地性の昆虫が多数見られることがある.とりわけ八菅山の休耕田では.モートンイトトンボ,コオイムシ,オグラヒラタゴミムシなど県内の代表的なレッドデータ種の生息が確認されている.また,ほかではほとんど確認できなかったシオヤトンボ,ハラピロトンボ(以上トンボ科),ケラ(ケラ科),ミイデラゴミムシ(ホソクピゴミムシ科)なども生息し,湿地環境としてきわめて重要である.さらに,角田の休耕田では県内の絶滅危慎種であるガムシとハネナガイナゴが確認されたほか,アオイトトンボ(アオイトトンボ科)が多数生息し,キイトトンボ(イトトンボ科)もここだけから記録された.

B止水環境

 自然に創り出された止水環境は.柚模川のワンドを除けぱ.わずかに天狗松の小池を見るだけである.この池では県内の絶滅危慎種であるエサキアメンボとババアメンボが発見されたが,前述したように埋め立てられる予定にある.相模川のワンドは大塚下に湧水を伴った良好なものが見られ,アオハダトンボやハグロトンボ,セスジイトトンボなどの生息地となっているほか,チヤイロシマチピゲンゴロウ(ゲンゴロウ科)やツマキレオナガミズスマシも見られる.また,中津川では平山橋の下流に良好なワンドがあり.やはりアオハダトンボやハグロトンボが多かったが,調査中に河川改修工事により埋め立てられてしまった.

 人工的に創り出された池のうち、最大なものが八管山のトンボ池である.あいにくとコイが大量に放たれ.その食圧のためにトンボの定着は難しいと考えられるが,山問に位置すること.清流の水を利用しているために澄んでいること.一部にョシ群落が生育していることなどで,一時的にしろ見られるトンボ類は比較的多かった.とくにモノサシトンボ(モノサシトンボ科)の多産,オオルリボシヤンマ(ヤンマ科),シオヤトンボ,リスアカネ,チョウトンボ(以上トンボ科)などの発見は特筆される.コイを除去すれば,トンボをはじめとして多種類の水生昆虫が定着するようになり,名称にふさわしい池となるだろう.

C流水環境

 愛川町はその東境に相模川があり,ほば中央を中津川が流れている.このため,流水環境は源流域から大河川の中〜下流域まで多様性に恵まれている.

 中〜下流域を代表する昆虫は,何と言ってもアオハダトンボであり,愛川町では中津川と相模川の本流沿いに少なくない.清流に限って生息し,県内では相模川水系に限って分布するが,愛川町以外ではごくわずかの地点で知られているにとどまっている.同じような環境にはハグロトンボも多数生息するが本種は県内の低地や丘陵地に普遍的に分布していたものの.現在は相模川よりも東の地域では絶滅してしまった.さらに中津川においてはミヤマカワトンボ(カワトンボ科)も同様な環境に生息する.中津川の中流域にはまた,ミヤマサナエやオナガサナエなどサナエトンボ科の種が少なくない.水の掟んだところでは,ミズカマキリ(ミズカマキリ科)やゴマダラチピゲンゴロウ(ゲンゴロウ科)なども生息するが.水生の昆虫の調査はまだ十分とは言えない.

 中津川や柏模川に注ぐ小河川の上へ源流域には.カワトンボやミヤマカワトンボ,コオニヤンマ.オニヤンマ,ミルンヤンマなどのトンボ類が生息する.ただし,上〜源流域は砂防ダムが幾重にも建設されており,このため源流域方面で産卵され.幼虫が成長するに従い中流域方面へと流下するトンボ類,とくにムカシトンボ(ムカシトンボ科)とクロサナエ.ヒメクロサナエ.オジロサナエ,ヒメサナ工(以上サナエトンボ科)などへの打撃は著しいことが予想される,実際.今回の調査ではムカシトンボ,オジロサナエ,ヒメサナ工は成・幼虫ともに確認できなかったし,クロサナエ,ヒメクロサナ工も仏果山地の尾根上で各1頭が得られたにすぎず,清川村側からの飛来個体である可能性も高い.砂防ダムばかりでなく,各所で見かける三面護岸の影響も無視できないと思われる.少なくとも源流域に関する限りは.その自然の生態系はすでに大きく破壊されてしまったと見なさねぱならないだろう.
 

4.愛川町らしさを後世に引き継ぐための提言

 生物の多様性の保全がいかに重要な課題であるかが,ようやく国・地球レベルだけでなく,地域レベルでも認識されるようになってきた.最近になってプーム化の感すらある都道府県単位でのレッドデータ生物調査も.その現れと見ることができる.また.昆虫や植物をはじめとして,多くの分類分野で詳細な地方詰カが刊行されつつある.こうした流れの中で,愛川町としてもまた,生物多様性の保全を真撃に考えていく時期に来ていることは間違いない.以下に.実際に昆虫相を調査した者として,そのためのいくつかの具体的提言を行いたい

(1) 八管神社の社叢林の保護

 前述したように.八菅神社の社叢林にはシイ・カシ帯要素の昆虫の太平洋側内陸部での北限となっているものが数種も認められる.この意味で.八管神社の社叢林は学術的価値がきわめて高い.愛川町ばかりでなく,神奈川県にとってもきわめて貴重な自然遺産であると言える.すでに植生学的な観点から県の天然記念物に指定されているが,今後も県・町をあげて保全に努めるべきである.

(2) 仏果山地の稜線部の保護

 高取山をはじめとした仏果山地も,ブナ帯の昆虫を温存していること,モミを寄主植物とする種類がいくつも生息しているという点で,愛川町にとって掛け替えのない自然である.中でも自然環境保全地
域に含まれている高取山から経ケ岳に至る稜線部は良好な林を保っており.このまま将来にわたって保全されることを期待したい.

(3) 薪炭林環境の復元

 本来,愛川町の大部分は薪炭林としての落葉広葉樹林が広がっていたものと推測される.しかし,台地上のほとんどは住宅地や工業団地,畑地などに置き変わってしまった.伐採を免れた林も,管理がなされなくなったために荒れ果て,植生の遷移が進行して昔目の面影はない.一方.かつての薪炭林は落葉広葉樹林に依存する生物たち(クリ帯要素)の宝庫であったし,それが愛川町の生物相の基盤であったはずである.この意味から,町内のどこか1,2カ所の雑木林を整備し,かつての薪炭林環境を復元する試みが期待される.

(4) 川原環境の保全

 愛川町の場合,草地環境として重要な位置を占めるのが,相模川と中津川の川原である.ここには県レベルで注目すべき昆虫がいくつも生息している.しかし前述したように,最近の川原の利用は無制限に近く,このままでは草地・川原環境に依存する生物たちを壊滅に追いやる危険性がある.スポーツ施設や駐車施設など人問が全面的に利用する場所,生物たちのサンクチュアリ(聖域)としての保護区域,その中に間の区域など,川原環境保護を念頭に置いてのゾーニングを明確に打ち出し,早急にきちんと実行する必要がある.

(5) 八菅山の水田環境保全

 自然状態での湿地環境は.残念ながら愛川町には存続できないようだが,休耕田がその役割をなしていること.同時に八管山のそれにおいては県レベルレッドデータ種が多数生息していることを前述した.この意味で,八管山の休耕田環境の保全はきわめて重要である.少なくとも八管山の稲作が将来にわたって行われるように,また水田面積が減少することのないように,何らかの配慮がなされることを強く望みたい.もちろん,角田の水田耕作も将来にわたって行われることを期待したい.

(6)八管山のトンボ池の整備

 自然状態での池沼環境は,相模川のワンドを除けぱ,愛川町からは消失してしまうらしい.これは生物多様性の観点からすれぱ,非常に残念なことである.一方で,八管山には環境に恵まれたトンボ池が造られていて,そこにはトンボ類が確かに多く見られるものの,多数のコイが放流されているために定着が困難なことを前述した.コイを除去しさえすれば,トンボばかりでなくいろいろな水生昆虫がすむようになり.文字どおりトンボ池の名称にふさわしい環境になることが期待される.せめて,生物多様性保全の観点からのトンボ池造りをお願いしたい.

(7)アオハダトンボのすめる町をめざして

 愛川町のシンボルとしてもっともふさわしい昆虫1種を挙げるなら,躊躇することなくアオハダトンボである.きれいな水に恵まれた愛川町には,きれいな水に生きるトンボこそ似合う.この美しいトンボを後世に健全な形で引き継ぐことができるなら,中津川と相模川の水辺環境もまた健全さを保っているはずである.

その実現の如何に,愛川町の自然に対するスタンス(基本的姿勢)を象徴的に見ることだろう.

(文責:高桑正敏・苅部治紀)
 



アオハダトンボ(動画)
(ムービー教材提供:あいかわ(愛川)自然ネットワークさま
愛川町教育委員会発刊図書からの転載許可済み
平成15年2月12日付
愛川町教育委員会
出版物名:愛川町郷土博物館展示基礎調査会報告書第8集『愛川の動物』
転載箇所:「愛川鳥類」「愛川の昆虫」
利用方法:
(1) 愛川町教育委員会生涯学習課・あいかわ楽習応援団「みんなの先生」IT講座/「誰でもできる・全部フリーソフトでできる・役に立つホームページ・WEBアップ簡単講座」 教材見本
 

(2) 学校教育IT実習で、地域の公的社会的刊行物資源をみんなでボランティアWEBページ化する基礎スキル習得編・教材見本


(※このWEBページは、教育委員会などが刊行した書籍等「知の公共財産」宝庫を広くWEBページ化、ディジタル化するボランティア活動を目的一例とした、みんなの先生「WEBページ 作成・発信」講座の作例教材です。)
 
 
 



2001-2003 Love River( 愛川 あいかわ) .Netみんなの先生 IT講座