神奈川新聞 2002年(平成14年)3月14日
愛川町
郷土資料館を耐久調査

大正時代の学校建築
町民の声で保存模索

 宮大工の技術伝える小学校校舎を残せるか。愛川町は新年度、江戸城の城門建築にもその名を残すほどだった半原地区の宮大工が一九二五(大正十四)年に造った旧半原小学校校舎の耐久調査を行う。町郷土資料館として活用されている旧校舎は、当初取り壊される予定だったが、町民の強い要望で保存を模索する。
(西郷公子)

 旧校舎は現在の町立半原小学校の敷地の一角に元の位置から若干動かす形で残され、郷土資料館として七九(昭和五十四)年にオープンした。

 建物は敷地面積約千平方メートルに、木造平屋建てで約三百八十平方メートル。小学校の屋根としては珍しいといわれる寄棟(よせむね)づくり。現在、農機具や撚糸の機具など五百点ぐらいが展示されるが、老朽化は激しく、町としては記録保存して取り壊す予定だった。

 「地域の町民や議会でも保存への強い要望があり、保存できないかあらためて耐久調査を行う。どういう結果になるかわからないが、町民の意見を聞きながら今後については考えたい」と同町は話し、取り壊しの方針をいったん、白紙に戻した。

 群馬県のある村の例では、木造建築の郷土資料館を残すため、地下収蔵庫をつくり内装工事をしただけで一億円を超える費用がかかった。愛川町の場合は半原小学校の運動場拡張のため、さらに同建物の移転費用や、移転先の確保も必要になる。

 しかし、半原の宮大工の技術は「半原撚糸」の名前とともに、全国に知られたもので、宮大工が糸機の生産に当たったことから、撚糸機械の普及が早く、産地となったという背景もあるため、町民の中には「何とか残してほしい」という強い気持ちがある。

朝日新聞 2002年(平成14年)3月4日(木)報道

郷土博物館を白紙撤回
 
愛川町長表明 「相模原に類似施設」

 愛川町の山田登美男町長は4日の町議会3月定例会一般質門で、町郷土博物館構想を白紙に戻すことを表明した。町議や住民代表らでつくる郷土博物館建設委員会で了承されれば、建設費として積み立ててきた4億1千万の基金は一般財源に戻すという。

 山田町長は「相桃原市にも類似の施設があり、財政状況も歳入が伸びなくなったので、白紙撤回したい」と説明した。建設委員会の了承は来年度になるという。

 同町立半原小学校内にある郷土資料館が老朽化したため、90年に博物館として建て替える構想が出た。鉄筋コンクリート2階建て、約3千平方メートルで、総工費は約30億円と見積もられた。

 町は92年度から建設基金を積み立ててきた。95年度には基金から1億2千万円を取り崩して半原地区内に約2万平方メートルの建設用地を買った。

 しかし、95年に相模原市に類似の博物館が完成した。建設委員会は96年、財政悪化などを理由にに建設計画の先送りを決め、それ以降、委員会は開かれていない。

 山田町長は昨年10月、構想を打ち出した前町長から町政を引き継いだ。


半原小学校木造校舎についての質疑
平成13年(2001年)12月議会議事録 2002/03/29 町資料室写し

議員
(井上博明君)
 学校の校庭の拡張、これは10年以上前からご要請してまいっているわけであります。文部省が定めております子供さん1人当たりの校庭基準面積(*注)に照らすと、狭い校庭となっております。
 また、校庭敷地内にございます郷土資料館につきましては、国の方から一日も早く場所を移転するようにと、こういう指導もされているわけであります。町側の努力もありまして、校庭拡張用地の一部民有地については、地権者のご理解、ご協力の中で既に買収を終えて、現在、民家の移転作業がされております。校庭拡張に明るい見通しも出ているわけであります。そこで、今後のさらなる拡張計画をきちんと持って取り組んでいただきたいと思っておりますので、考えを伺っておきたいと思います。
町長
(山田登美男君)
学校教育について。 この中の半原小学校の校庭でございますが、今後の拡張に向けた取り組みはということでございます。
 関係地権者のご協力により、一部用地の買収が完了しておりますが、この用地には家屋の移転が伴っておりまして、現在、移転の準備を進めていただいているところでございます。
 今後の校庭拡張につきましては、土地利用の関係を含めまして、総合的に検討し、早期の拡張に向け取り組んでまいりたいと考えております。
議員
(井上博明君)
 半原小学校の校庭の拡張であります。
 総合的に検討して、拡張に努めるということでありますけど、本来、校庭を拡張する場合は当然、用地買収が伴ってまいりますので、多額の財政投資が必要になるということです。 そういう意味では、取っかかりの部分から校庭拡張の全体の土地利用計画をきちんと定めて、買収年度、そして校庭の整備年度の計画などをきちんと持って用地買収に入り、事業化に進むというのが通常ですよね。 これは、投資した後、短期間で投資効果が出てくるということをしなくてはいけないわけです。今回も一部用地買収ができて、もう一定の投資をしているわけで、早く拡張できなければいけないわけです。そういう意味で、この土地利用計画は持っているのかどうか。
 それとあと、買収計画について、残っている未買収のところを今後どうするのか伺っておきたいと思います。
町長
(山田登美男君)
 半原小学校校庭拡張事業につきましては、平成2年当時、バブル経済期に計画し、平成4年6月議会定例会の全員協議会において全体計画を説明させていただき、用地買収を進めてきたところでございますが、その後、郷土資料館をどうするかなどいろいろな問題が出てきておりますので、現在、建物についての調査を検討いたしているところであります。いずれにいたしましても、この検討結果や財政状況などとあわせ、今後の用地買収、土地利用についてさらに研究してまいりたいと存じます。
議員
(井上博明君)
 半原小学校の校庭の拡張でありますけど、長期化しているわけです。一定の財政投資もしたということなんだけど、まだ具体的な土地利用計画が見えてこないというように私は受け止めているわけですが、郷土資料館はいつまでもあそこに置くわけにいかないという状況にあることはご承知のとおりだと思うんです。あれをどうするのか、方針をきちんと持つべきで、あれが動かない限り拡張もできないということになるんです。その点について、町長は方針を持っていられるのか、どうするのか。
 それとあと、買った用地については全体が進むまで有効に活用しなきゃいけないんですけど、町長の方針がきちんと定まらないと事がいかないのではないかと思っておるんですが、この点について伺っておきたいと思います。
町長
(山田登美男君)
 ご質問の半原小学校の校庭わきにあります郷土資料館の関係でございますけど、先般の9月定例議会でもご答弁させていただいているところでございますが、まず建物の調査をさせていただき、老朽化の状況等を再調査いたすということになってございます。その調査結果を見まして、郷土資料館につきましては、半原地域の活性化などもありますので、総体的に研究してまいりたいと思っております。
議員
(小倉英嗣君)
 郷土資料館、元半原小学校旧校舎の保存についてであります。
県下で木造校舎が残っているのは、鎌倉市、南足柄市、津久井町、愛川町の4校舎だけと聞いております。大正期の学校建築の屋根形状は切り妻でありますが、大正14年(1925年)に半原宮大工の手によって建てられました半原小学校は、洋合掌と日本建築古来の伝統工芸であります隅合掌を組み合わせた寄せ棟つくりでありまして、貴重な歴史的建造物でありますことから、永久保存すべきと考えますが、今後の取り組みについて伺います。
町長
(山田登美男君)
 半原小学校旧校舎の保存についてでございますが、これにつきましては、9月議会におきまして、「老朽化の状態の調査やレインボープラザなどの類似施設の状況、半原小学校の校庭拡張工事計画など移設についての課題を総合的に判断した上で、現時点ではもう少し幅を広げた対応策の調査・研究をする必要がある」 とお答え申し上げたところであります。
 現在、移築保存が可能かどうか、基礎資料とすべく建築物の耐久性などを把握するための調査の準備をしているところでございます。したがいまして、今後は、調査を見据えた中で、どういった方法が一番良いのか、移設場所、経費などを含めた中で、議会や地域住民の皆さんのご意見をお伺いした上で総合的に判断し、慎重に対応してまいりたいと考えております。
議員
(小倉英嗣君)
 そこで、1点だけお伺いしたいと思います。
雨トイが壊れていて非常に腐食が進んでいるところがございますので、応急的な処置を講じていただけるのか、お伺いしたいと思います。
町長
(山田登美男君)
(時間切れ 答弁なし)

平成14年(2002年)3月議会の議事録文字情報の一般公開は5月頃です。


(NPO)木の建築フォラム( 地域活動 グループ ) @loveriver.net 2002