解体された木造校舎の古材や、製材で廃棄される端材などの再利用で、ここまでの建築が仕組める!という提示であった。(ただ充分な金がないゆえのエネルギー・・・ 1978年9月〜翌年3月/第一期自力建設) 何より、既存の建物本体が(戦中、一番物資に乏しい時代に建てられた、典型的庶民長屋で ) 、老朽、腐朽、生活様式の変化の果てに、如何ような価値もない住宅として見捨てられた、いわゆる「都市廃屋」であった。 「いちはやく『大量消費』文明の空虚さを感知・共感した多くの友人達の労務ボランティアと共に、新たな鉄筋コンクリートべた基礎の構築の上に完全な水平・垂直ゆがみ直しと、経年変化そのままの古い構造材をそのまま露出デザインとして、新しきにまさる『時間を携え再度生きれる建築』」という主題は、多くのファンに受け入れられた。
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山と渓谷社 ウッディライフ No.9 (1983年10月刊) 取材記事