文芸春秋社刊

(Q)清張の残した、いまだに解けぬミステリー

この景色、集落は(現)愛川町のどこに存在するのか?



 

当時から、そして現在も、古老などに記憶を訊ねてまわるミステリー解読ファンは多い。
しかし、それらしき所はいまだ皆目わかっていない。

背景の山形は中津川右岸にしか存在しないと思える。
(予断を持つべきでないが)
流れは二筋、中州が写っているとも思われる・・・?

とすると、上流方向?左岸側から?左岸?の河岸段丘下の集落
(下谷か田代集落しか存在しない)をを撮れるこのアングルの地形が謎なのである。

解けない謎に、当時松本清張氏から題材の取材を受けた古老などは、「松本清張はとにかく(事実と違う)話を作っちまうからな・・・」
(フィクション小説家なのだから当たり前)
「おおかた来る途中の相模川あたりの景色と合わせちまったんだろ・・・」などと言う。
そこまで可能性を広げると、どちらが上流ともわからなくなる。
ネガを裏焼きした可能性もなくはない。
又は、カメラマンのイメージでまったく他所で撮ったものかもしれない・・・

しかし、この景色は、そこはかとなく「中津村!」というイメージを120%醸し出しているのである!

ミステリーの解読者を待望する!!



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ある日、散策中、このことなど全然頭にもない時、ふっと脳内をよぎったものがありました。!
とって返して・・・ある場所で本の表紙と見比べ立ち尽くしました。ミステリーが解けた瞬間。
2001 Ooki Masami

(当然ながら、この風景写真を持ってその場所に立てば、なつかしき風景のすべてがわかります)

余命いくばくもなく、どうしても冥途の土産にお知りになりたい方には、特別にお教えいたします(^^)