「森を育てる長いサイクル、長い時間スパンの持続を必要とする理念」 「環境」時代の先取り素材?注目に訴えられる内は“新鮮ネタ”?としてつまみ食い・・・ |
長く生きたものを相手には、時間を見据えたつきあいをしたい
ワンルーム "多目的アレンジ" 対応 /木造 long life 民家 |
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巨大地震遭遇確率100%/最強対応 アーチ&シェル 構造 | ||
「純」健康建材 /間伐材(森の底辺支持材)ログ組シェル | ||
老齢・障害者標準仕様 (バリアフリー & ノーマライズ) | ||
生ゴミ雑排水系(ミミズ共生)土壌還元トレンチ | ||
庭を車スペースから開放、重層共存 corrugated tube | ||
「(1)ファッション?の "ログハウス"と、(2)"オートキャンパー"」
=自然愛好派
興
狂じて、実は、環境
"大量消費軍団"?
「建築」に「感動」らしきものを感じたのは、実は(俗っぽく取られるのを承知で真実言えば)、初めて
「本物の」ログハウスに遭遇した時からなのだ・・・
アリゾナの山奥に入り込んだ時だった。
・・・日本で凡庸と成人した時には「建築」とはただの「建物」と同義語に過ぎなかったと言ってよかった。 「本物の」といった意味は、構築物の、周囲から伐採調達された原材に違いない「身近さ」と、また下部の礎とも腰壁とも言える荒々しい石積み、それもその周辺の自然資材を集めて用いた確かさの意味である。
現在よく画一的にイメージされるようなログキャビンというようなレベルでない、(教会法人の浄財を「美」に表現した)相当な品質の「建築=architecture」そのものであった。 職業的な修練を積んだ今の感性をもってして、もう一度確かめに行きたいと思うが・・・はたして記憶を頼りに行き着けるかどうか・・・
「ログハウス」が、ある種の感性に訴えるものを持ち得るのはどの点だろう?
かって原生林を目の前に、開拓者はそれを板材に加工する用具も持たなかっただろう。 コンクリート建造物などの、いくら高く、搭状や壇状に巨大なボリュームで迫っても、ひとつ欠落した感動でしかあり得ないのは、「自然への畏れ」に対する感性と言えるだろう。
「人の好み」に大きなお世話な話ではあるのだが・・・、(自力建設エネルギーへの敬意は敬意として) もう一つ、「心の品性」を見ている周囲の目が存在することも知って欲しいと思うのだ。(おだてられた当人の耳には届きにくいところに・・・)
(その手の人たちに限っ
て、今度は自然に朽ちていくことを許容しないで、住む目的「主体」の「人」の健康・寿命を損ねてまで、有毒防腐剤など塗りたくって、建物の方を長持ちさせようとする。 はじめて素人が「自力でつくる」挑戦には、「本当に自分にできるのだろうか」という一種計り知れない恐怖に似たプレッシャーは存在するだろう。
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