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「杳き日」>
(角田八幡 夜祭)
諏訪部 晃:作 (100号) |
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(愛川町指定文化財 天然記念物)
(愛川町教育委員会)より
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タブノキ関連リンク → 熊坂のタブノキ
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同 大イチョウ
2001/02/06UP
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水道坂 2001年冬(実写)
角田は広い地域である。海底、幣山の河畔地帯から、段丘や台碧隔てて小沢に連なっている。しかも、延宝二年(一六七四)までは田代もその区域内であった。もっともこの時代は上川入郷(村)と称し、田代は上川入の枝郷であった。この広い角田も、その地名の語原となった地は限られた小区であって、逐次発展していったことは、いずこの地名の場合も同じである。 「角田」は「スミダ」と訓む。かつて、「角田」の地名考にアイヌ語が引用されて、スミ(洗い去る)タ(場所)の意で、中津川によって「河岸を洗い去る場所」という説を聞いたことがある。この他にもアイヌ語で説明されている地名をしばしば見うけるのだが、そのいずれの場合においても、難解な地名に限られる説明であるやに思えるのだが、はたして当を得た地名考であろうか。
なお、「ツミタ」は「ツマタ」(妻田)とも訛ったし、また摘み蒔きのことから「マイタ」(蒔田)の地名も伝えている。いずれにしても「角田」と同じように、河川や湧水による泥状の湿田をさしていう民俗語に変りはないのである。「ヤアラ」(谷原)もまた民俗語の一つで、泥状の地形を表わす言葉である。 (大矢清市)
(愛川町教育委員会 昭和42年・1967年・発行)より |
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