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100号作品 画像50KB
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「杳き日」> (角田八幡 夜祭)
 諏訪部 晃:作 (100号)



諏訪部 晃 画伯

1917〜1999

大正6年 (現)愛川町角田に生まれる。
戦後 旺幻会、日本美術家連盟に所属して活躍。
「杳き日」は作者幼少の頃(昭和初期)の角田八幡様のお祭りの夜景を描いたもの。
見る人に昔のお祭りや夜店をなつかしく思い出させる心暖まる作品である。

100号(1621*1303mm)大作

(母校高峰小学校に寄贈・展示)

 

角田八幡社のタブノキ
(愛川町指定文化財 天然記念物)


  たぶのきは、いぬぐすとも言い、くすのき科に属する常緑大高木で、本州中央部以南の海に近い暖地に自生するのが普通です。これらの地域は、常緑広葉樹林を原植生とする一帯であり、たぶのきは、その原植生を構成する有力なひとつでした。
 その後、植生が人間の力で大きく変わってしまい、原植生をつくっていた樹林は極度に減り、人の力の届かぬところに残るだけになってしまいました。
 ここにある「たぶのき」も、おそらく上記のような経緯により生存し得たものと考えられ、かつ、海浜の暖地を生育の適地とする性質からみても、この地が内陸に深く北にかたより最適とはいえない条件のもとに、県内にまれに見る生育を示しながら、長年生存し得ていることは、注目に値する自然のいとなみです。

(愛川町教育委員会)より

タブノキ関連リンク → 熊坂のタブノキ

大イチョウ(36KB)
同 大イチョウ



 

2001/02/06UP

角田・下箕輪スケッチ画像 74KB
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水道坂より角田・下箕輪の眺望(昭和初期の思い出 画:諏訪部晃画伯)

水道坂 (33KB)
水道坂 2001年冬(実写)



 
 
 
 
 

角田 

 角田は広い地域である。海底、幣山の河畔地帯から、段丘や台碧隔てて小沢に連なっている。しかも、延宝二年(一六七四)までは田代もその区域内であった。もっともこの時代は上川入郷(村)と称し、田代は上川入の枝郷であった。この広い角田も、その地名の語原となった地は限られた小区であって、逐次発展していったことは、いずこの地名の場合も同じである。

 「角田」は「スミダ」と訓む。かつて、「角田」の地名考にアイヌ語が引用されて、スミ(洗い去る)タ(場所)の意で、中津川によって「河岸を洗い去る場所」という説を聞いたことがある。この他にもアイヌ語で説明されている地名をしばしば見うけるのだが、そのいずれの場合においても、難解な地名に限られる説明であるやに思えるのだが、はたして当を得た地名考であろうか。
 
 さて、「角田」であるが、その語原は「ツミタ」であって「摘み田」と書くべき地である。稲の栽培は普通苗の移植によるのだか、原始にあっては種の摘み蒔きであった。この方法は近世にいたるまで、泥状の深田に用いられてきた。この泥状の田を「ツミタ」と称したのである。角田の中ノ平一帯は、いまこそ乾田となったが、数年前までは泥状の湿田であったので古くから、摘み蒔きの方法が伝えられ、名づけて「ツミタ」と称したが、のち「スミタ」と転訛し「角田」の文字を用いて、角田本郷となるにおよんで地名の由来からは、全くはなれてしまった。

 なお、「ツミタ」は「ツマタ」(妻田)とも訛ったし、また摘み蒔きのことから「マイタ」(蒔田)の地名も伝えている。いずれにしても「角田」と同じように、河川や湧水による泥状の湿田をさしていう民俗語に変りはないのである。「ヤアラ」(谷原)もまた民俗語の一つで、泥状の地形を表わす言葉である。

(大矢清市)
「あいかわの炉辺史話」
(愛川町教育委員会 昭和42年・1967年・発行)より
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