神奈川県における古民家再生の一事例

2棟の古民家を合体し1棟の建物として構成し直した事例。解体・選材・保存・建方に至る経過を追跡調査した。       

この工事はK邸の構造材を店鋪となる1階に使用し、O邸の古材を住居となる2階に使用する、O邸飲食店兼用住宅工事である。

 再生工事前の建物の概要

再生前の住居は、神奈川県藤沢市に明治4〜5年頃に建てられた茅葺農家K邸と、
神奈川県横須賀市に大正12年に建てられた瓦葺の和風住宅O邸である。

  

K邸の平面は四間取りで大黒柱を用いた幕末から明治初期特有の形式であった。 明治4〜5年築で、間取りは以前広間型3間取りだったものが整形4間取りの変形に変化したものと思われる。屋根は寄棟、茅葺きで1部トタンであった。大黒柱が大変立派で、神奈川県の民家らしく太い梁を5本平行に通していた。後補の間仕切が入っていたが主構造材はよく残っていた。架構は、大黒柱から三方に差鴨居を配し、これより一段高く太い桁行梁を3本並列し、この上に曲りの強い梁行の登り梁を前後から架けて下屋を取り込んでいた。簀子天井下の広大な空間に、これらの多層の横架材による立体的な梁組が組み上がり、意匠の見せ場になっていた。又、2〜3年間空家だった為、水平垂直の狂った柱や崩れた土壁等は放置されていたが、 土間のカマドが残る等の旧状を維持していた。

O邸解体中
 

一方O邸は、大正12年の関東大震災以前に建てられ、数奇屋造りらしく細くて繊細な柱が多くあった。間取りは4間取りで、屋根は寄棟、瓦葺であった。何度かの改修、模様替えで大黒柱より下手側が改修され、新建材に取り替えられていた。又、その時に縁側の建て具がサッシにされたり、古い趣きのある物置きが壊されたりと、施主の思い通りに行かないという事があった。(これも大工との価値観の違いの為に起った。)


再生の流れ

解体

1本1本の梁組を解体し、残すには殆ど人力で行うので非常に厳しい作業である。その為、業者の深い理解が無ければある程度雑な作業となり、大切な材が折れたり傷付くということが起こる。

解体

天井板をはずしている現場。これを使用することもあって、非常に丁寧に剥がす。
 

下小屋に運ばれ選材、保存

 この工事の施行会社の加工場にストック。今回の再生工事に使わない予定の材も腐りや虫害の無い物はすべて運び、他の工事や家具製作などに使用する。

下小屋での地組

 
・1F(K邸の構造材)
 5本の桁のみそのまま使うが、他の梁などは1階部分に使うので薄さを出す為に他の直線的な古材を選んで使用する。その為、新たに仕口を彫る等、試行錯誤しながら進めていた。   
・2F(O邸)
元のままで梁組を使用する。地組の現場で番付しながら組み合わせていた。地組みをしてみて当初考えていたよりも梁組が小さいことがわかったので柱を移動する等の変更を決定していた。 

建て方中

   黒く見えるのが古材

完成

   大黒柱を用いた内部の様子


再生後の概要

再生後の建物は、K邸の軸組の一部を1階に用い飲食店とし、O邸の全部をその上に載せ2階とした店舗併用住宅であり、O邸敷地内に建てられた。
完成外観